【庄内町】清川塞の神 木製人形デクサマを持ち集落を勧進 五穀豊穣や子孫繁栄等を祈願
毎年1月3日に山形県庄内町清川地区で行われる伝統行事「清川塞の神」。コロナ禍で内容は変更されましたが、令和4年も開催されました。今回はその時の様子をレポートします。
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清川塞の神とは
清川には荘内藩の番所が設けられ、多くの人が行き交う交通の要所でした。疫病や悪霊などが村内に入るのを防ぎ、道行く人々を守るお祭りが「清川塞の神」です。
天孫降臨の際に道案内をしたことから、猿田彦神を道路を守る神様=道祖神としている地域が、清川に限らず全国的に見られます。その為、猿田彦神の像を御神体としている集落がある他、男女の縁結び(=性の象徴)として陽石を祀っているところもあり。現在では、子孫繁栄や五穀豊穣などを祈願されて行われています。
清川塞の神の特徴
主宰する子どもたちが、デクサマという人形を持って塞の神の祠を参詣した後、家々を巡りました。昔はその世話役を若者頭がつとめたそうです。今は1月3日のみですが、昭和36年ごろには正月3日から7日まで行われていたそうです。
清川塞の神で使う道具
デクサマ
プロの人形師が作ったり子どもたちが木のコブで作った頭部の下に、木を十字に組んだ胴体に藁やワレタン等を巻き付けて着物を着せます。
トンキン
烏帽子のような形をしたトンキン。
剣
帳簿
御祝儀を渡した人の名前や金額、ぞれを分配した子供たちの名前の他、塞の神にかかる諸経費などが記載されています。
これまでの清川塞の神
平成2年に行われた清川塞の神の記録映像を見ると、綱を張って(太鼓つめ)太鼓を叩く練習からはじまり、太鼓をそりに乗せて町内一軒一軒を勧進している映像が残っています。その際には子どもたちが唱言、ふご(ザル)に入れられたお米や餅、祝儀など寄進を受けていました。(平成30年に行われた「清川賽の神」の動画はこちらから)
清川塞の神当日は、まず各集落の神宿で御祈祷を済ませて、石祠や寺、家々をめぐる勧進に出ます。
「塞の神」の石祠の前で、「朝鳥ホイホイ」から始まる朝鳥追い(アサドレ)を唱っている、子どもたちの姿がかわいらしくとても印象的でした。
令和四年 清川塞の神
まず午前9時に「デクサマ」と剣を持った各集落の代表者が神社に集まり、揃って御祈祷を受けました。
その後、駅前・幸町と新町地区では、それぞれの御神体が待つふれあいホームにデクサマを持ち帰り、ここへ地域の人々のがおまいりに訪れました。
終わりに
清川塞の神の担い手である子供が少子化で減っている中で、会長の加藤皇さんをはじめ清川塞の神保存会の皆さんが、知恵を絞って伝統行事を守っていこうとする姿がとても印象的でした。
参考文献
立川町の歴史と文化(昭和三十六年発行)※P306-P308
写真で見る清川塞の神(平成十一年発行)