【鶴岡市】三瀬 氣比神社 神秘的に木々が囲う社殿や神社境内へ 宿駅の面影残る参道を歩く
今回は山形県鶴岡市三瀬地区にある「三瀬 氣比神社」を訪ねました。源義経が立ち寄ったとされる「三瀬の薬師堂」がどこにあったのか探して。
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三瀬駅から歩く
羽越本線のあつみ温泉行き普通列車に乗車して、午後三時過ぎに三瀬駅に到着しました。下車したのは私を含めて3人。
大正十一年5月22日開業した三瀬駅。現在は普通列車のみが停車する無人駅となっています。
駅前の道をまっすぐ歩いて突き当ったT字路を左へ。集落の中に入って来ました。
「宿駅」三瀬の面影を探して
江戸時代の三瀬は鶴岡と越後を結ぶ街道の宿場にあたり、その頃の雰囲気を感じる古い建物も残っています。
途中、豊浦村役場跡の碑に出会いました。
義経記に見る三瀬
義経記によると、源義経一行は三瀬川が増水した為、三瀬の薬師堂に二・三日滞在したと記されています。三瀬では刀や笈(おい:書物や仏像などを入れてリュックのように背負って歩く道具)、北の方の髢(かもじ:地毛で足りない髪の長さやボリュームを補うために添える付け毛)などが残されて、宮町の堂に収められていたそうですが、残念ながら火事で焼失して現存していません。また氣比神社社記によると旧社殿跡に源義経公の遺跡あり、又指呼の間葉山中腹に義経記の薬師神社跡があるとのこと。
三瀬氣比神社を歩く
花飾りが吊り下げらえている宮町の家々を見ながら参道を歩いて、宮前橋で三瀬川を渡ります。秋になるとこの三瀬川に鮭が上って来るそうです。橋の上から遠く日本海を望むことができました。
近くを通る国道7号線に出て由良峠へ向かうと、「古蹟辨慶清水之趾」があります。
氣比神社は霊亀二年(716)丹波国・真名井から移住した人たちが越前国・敦賀の気比神社から招請したと言われる保食大神(うけもちのおおかみ)、日本武尊、神功皇后などを祭り、社殿の造営は天文九年(1540)に尾浦城主の部将・高坂中務時次ら領内に奉加してこれをなしたそうです。また現在の本殿は庄内藩四代藩主酒井忠真が宝永四年(1707)に寄進しました。
石段を上った正面には直会殿が見えてきました。
この裏には拝殿や応神天皇社、日本武尊社などがあります。
この先、氣比台の池が続いているのですが、薄暗くてひとりでは少し怖かったので、ここで引き返して三瀬駅へ戻りました。
氣比神社の基本情報
三瀬 氣比神社
住所:山形県鶴岡市三瀬宮ノ前1
https://kihijinja.sanze.jp/