路線バスの旅 羽州街道の宿場町 楢下宿を歩く

山形県上山市楢下は、慶長七年(1602年)に宿駅が設けられました。参勤交代の度に、上山藩や亀田藩、山形藩、天童藩、矢島藩、庄内藩、松山藩、長瀞藩、新庄藩、久保田藩、本荘藩、津軽藩、黒石藩の計13藩の大名やその家臣、巡見使などが往来し、羽州街道の宿場町として賑わいました。

羽州街道とは

羽州街道は、現在の福島県伊達郡桑折町で奥州街道と分岐、小坂峠を越えて宮城県白石市へ。刈田郡七ヶ宿町から金山峠を越えて出羽国(山形県上山市)に入ります。

この後、山形県内を縦断して山形県真室川町から雄勝峠を越えて秋田県へ。更に矢立峠から陸奥国(青森県平川市)に入り、青森市油川で再び奥州街道と合流する、東北を代表する街道のひとつです。

楢下宿までのアクセス

楢下宿までの交通機関は、高松葉山温泉から「かみのやま温泉駅前」を経由して赤山まで向かう、山交バスさんの路線バス。高松葉山温泉発赤山行きが4本(8:12、12:15、15:30、17:52)、赤山発高松葉山温泉行が3本(8:45、12:50、16:05)あります。なお、かみのやま温泉駅前から楢下新町までの大人運賃は片道600円です。(2020年11月現在)

山交バス 楢下新町バス停

滝沢屋の最寄りバス停は楢下新町。旧武田家や番所跡、新橋、庄内屋は楢下、山田屋や浄休寺、覗橋は楢下入口バス停の下車が便利です。このバスは土日祝日は運休の為、週末にご旅行される際はタクシー又はレンタカー利用となります。

滝沢屋

楢下新町のバス停で下車して、最初に訪れたのは「滝沢屋」最初に受付で検温と入館者名簿の記入を済ませます。この日は運よく、係りの方に建物内の展示物等ご案内していただくことに。ソーシャルディスタンスを保ちつつ、マンツーマンでお話を伺うことができました。

楢下宿 滝沢屋

建物の特長の一つとして紹介されたのが、道路に面した障子。一般的には横開きですが、滝沢屋の障子は縦開き。また入口の大戸は観音開き。馬に乗ったまま建物内へ入ることができる高さがあります。この開門は、殿様の許可を得て造られたそうです。

上山市の伝統的な民俗行事「加勢鳥(かせどり)」の際に使う、ミノのようなケンダイが展示されていました。このお祭りでは、ふんどし一丁でケンダイをまとった若者が家々をめぐります。やってきた若者に家の人々は祝い水をかけて、一年の商売繫盛や家内安全などを祈るそうです。

旧武田家

滝沢屋からバスで通ってきた道を戻って行くと、左手に見えてきたのが「武田家」さきほど訪れた滝沢家が街道に沿って横に広い造りだったのに対し、武田家は奥に長い造り。入口から細長く土間が奥へ続き、左手に廊下と中間と上段が街道に対し平行に並んでいます。

楢下宿 旧武田家

番所跡

楢下郵便局に隣接する番所跡。

楢下宿 番所跡

新橋

番所跡から楢下郵便局のそばを通り抜けると、金山川にかかるアーチ状の石橋である「新橋」が見えてきました。

楢下宿 新橋

明治13年(1880年)地域一丸となって、初代山形県令の三島通庸に石橋架換えを願い出ます。そして同年4月に着工、突貫工事で同年8月には完成しました。

楢下宿  新橋

庄内屋

新橋のすぐ近くにあるのが「庄内屋」その名の通り、庄内藩の定宿でした。道路に張り出した部分が元の玄関で、ここから玄関の間、下中間、上中間、上段と部屋が並んでいます。この棟と垂直に繋がり道路に面しているのが本屋。こちらには勝手と庭があり、奥に下囲炉裏が続いています。

楢下宿 庄内屋

大黒屋

庄内屋から少し歩くと、左手に「大黒屋」が見えてきました。軒先には「紅柿」をつるした干し柿。12月に食べごろを迎えるそうです。

楢下宿 大黒屋

覗橋

大黒屋から金山川へ向かうと、明治15年(1882年)に完成した「覗橋」のたもとにたどり着きます。先に渡った新橋と合わせて、二つの橋は「眼鏡橋」と呼ばれています。

楢下宿 覗橋

山田屋

覗橋を渡った反対側の左にあるのは「山田屋」土蔵を活用したミニ図書館がありました。

楢下宿 山田屋

浄休寺

境内に樹齢300年を数える大銀杏がある「浄休寺」ちょうど色づいた葉が地面を多い、とても印象的な光景を見ることができました。

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