【根岸】旧陸奥宗光邸 明治のモダンな洋館 「根岸のホワイトハウス」を訪ねる

今回訪ねたのは、台東区根岸にある「旧陸奥宗光邸」です。

旧陸奥宗光邸へのアクセス

旧陸奥宗光邸の最寄りは、山手線の鶯谷駅。駅から言問い通りへ出て、横断歩道を渡った後、ランダバウト東京さんや台湾料理 小吃 龍一吟(ロン-ギン)鶯谷店さんの前を通り、細い路地へ。正面に建物が見えてきます。なお都営バス利用の際は、鶯谷駅前バス停が最寄り。

都営バス鶯谷駅前バス停

陸奥宗光について

1844年に幕末の和歌山県(当時は紀州藩)に生まれました。勝海舟の発案によって徳川幕府が元治元(1864)年に設立した訓練所「神戸海軍操練所」で学んだ後、坂本龍馬の亀山社中や海援隊のメンバーとして活躍。明治維新後は、第二次伊藤博文内閣の外務大臣として、徳川幕府が諸外国と結んだ不平等条約の改正や日清戦争後の講和条約締結に手腕を発揮します。日清講和条約と言えば、歴史の教科書に掲載されていた、永地秀太の「下関講和談判下図」を思い出しました。下関の旅館・春帆楼の二階大広間で開かれた会議の様子を描いた絵画で、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

旧陸奥宗光邸の建物について

案内板によると、陸奥宗光が西南戦争の際、土佐立志社の挙兵派のよる政府転覆計画に加担したとして、禁固五年の刑を受けました。1883年に出獄した後、1887年に六本木へ転居するまで、家族と共にこの邸宅で暮らしたそうです。1888年に売却された後、1907年頃にちりめん本を出版していた長谷川武次郎が自宅兼社屋として購入。現在もご子息がお住いとのこと。その為、建物内への立ち入りすることはできず、敷地外部から静かに見学します。

旧陸奥宗光邸の外観を見学

夏の太陽の光を浴びて、青空の下で一段と際立つ白色。「根岸のホワイトハウス」と呼ばれているのも納得です。屋根は緑に覆われていてはっきり見えないのですが、瓦葺きでしょうか。こちら側に廊下があり、反対側にお部屋がありそうですね。1階窓下のクロスした板が当時は斬新なデザインだったのではないでしょうかね。

旧陸奥宗光邸

正面からみて左側、玄関の横に建て増しをしたような部分があります。以前に足立区の「和食 板垣」さんで食事をさせていただいた際、このように玄関の横に洋風の応接間を持つ構造が昭和初期に流行ったというお話を伺いました。もしかしたら、この建物も同じなのかなと想像しました。この上はベランダでしょうか。

旧陸奥宗光邸

中を見学できなくても、外観から建物のアレコレを想像してみる…これも街歩きの楽しみだと思いますがいかがでしょうか。

旧陸奥宗光邸の基本情報

住所:東京都台東区根岸3丁目7−15

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