【おこもり東京】三ノ輪橋から千住大橋へ 日光街道を墨田川へむかってぶらり街歩き

今回は都電荒川線(東京さくらトラム)の三ノ輪橋停留所から千住大橋まで、日光街道(国道4号線)を墨田川を目指す街歩きに出かけます。

三ノ輪橋停留所から南千住一丁目界隈

三ノ輪橋停留所で路面電車を降りて、街歩きスタート。日光街道沿いにある神社仏閣をめぐります。

三ノ輪橋停留所

大正2(1913)年に開業した「三ノ輪橋停留所」は、関東の駅百選に選ばれました。

三ノ輪橋停留所

停留所の近くには、地元で人気のパン屋さん「ポエシー」があります。

三ノ輪橋停留所からカレーパンたび 焼きたてパンの店 ポエシー

ゆる鉄画廊

最初は商店街・ジョイフル三ノ輪にある、鉄道写真家・中井精也さんのギャラリー&ショップ「ゆる鉄画廊」に立ち寄り。気に入った作品のポストカードを購入しました。

旧王電ビルヂング

日光街道へ向かう途中、振り返ると味があるモダンなビルが姿を見せます。この建物は昭和2(1927)年に完成した「旧王電ビルヂング」。

旧王電ビルヂング

王電とは乗ってきた都電荒川線の前身・王子電気軌道の本社社屋でした。現在は写真館として利用されているようです。

真正寺

日光街道から細い参道を抜けた先に境内が広がる「真正寺」さん。

真正寺

円通寺

とてもインパクトがある仏様の像と搭が目を惹いた、曹洞宗の寺院「円通寺」さん。この境内には、幕末の慶応4(1868)年5月15日の上野戦争で薩長軍と戦った彰義隊士のお墓があります。

円通寺

埋葬することを禁じられた為、戦死した彰義隊士の遺体はしばらく放置されていたそうです。それを見かねた円通寺住持の仏磨和尚たちが、新政府にはたらきかけて荼毘に付した上、境内に墓を建てて供養したそうです。

その機縁から、上野戦争当時、寛永寺にあった黒門が明治40(1907)年に帝室博物館より移設されました。弾痕が多く残る痛々しい姿から、戦いの激しさを感じることができます。

円通寺

円通寺

明治維新では多くの人々の尊い命が犠牲になり、また官軍(勝者)と賊軍(敗者)いうシンボリックに善悪を作り上げる為に、虐げらた人々がいたこと。その一旦を彰義隊のその後に触れることで知ることができるのではないでしょうか。そしてこのようなことは、現代に至る歴史の中で繰り返されていることを、私たちは改めて感じることになるのではないでしょうか。

南千住一丁目界隈から千住大橋へ

円通寺から都営バスの三ノ輪橋へ戻って草43路線バスに乗車しようと思っていたのですが、次の便まで20分以上待ちそう。ぶらぶら千住大橋まで歩くことにしました。

素戔雄神社

奥の細道の旅へ出る松尾芭蕉が、矢立初め(旅の始まりに)詠んだとされる「ゆく春や鳥鳴き魚の目は泪」の句碑が境内にある「素戔雄神社」。

素戔雄神社

熊野神社

日光街道から住宅街へ入った場所にあるのは、永承5(1050)年に創建された「熊野神社」。

熊野神社

初代・千住大橋が架けられた際、残った資材で社殿の修理が行われました。以後、熊野神社は千住大橋の守護神として祀られ、架け替え毎に祈願と社殿修理が恒例となったそうです。

千住大橋

この街歩きのゴール「千住大橋」。そばにある石碑によると、最初の橋が架けられたのは、文禄3(1594)年。当時は木造でした。奥州街道・日光街道が通り水戸街道が分岐する宿場町・千住は、交通の要所として賑わいます。

千住大橋

そして現在の橋は関東大震災後の復興事業として、昭和2(1927)年に架けられました。

この街歩きに便利なサイト

〇荒川区産業経済部観光振興課
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/kankoleisure/kankou/index.html

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