【庄内町】清河八郎記念館 数多くの自筆の書から感じる 明治維新の魁になった回天倡始
明治維新の魁と言われる清河八郎の没後100年を記念して建てられた「清河八郎記念館」は、出身地である現在の山形県東田川郡庄内町清川にあります。
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清河八郎記念館の行き方
清河八郎記念館の最寄り駅は、陸羽西線の清川駅。駅前の通りを歩いて行くと、正面に清川関所の高麗門が見えてきました。この前で右へ曲がり道なりに進むと、「清河神社・清河八郎記念館」の看板の横に到着。
またすぐ近くには、庄内町営バスや庄内交通の清河八郎記念館バス停があります。
清河八郎とは
清河八郎は天保元(1830)年10月10日生まれ。弘化4(1847)年 18歳で江戸に出て東条一堂塾に入門、更に嘉永4(1851)年 北辰一刀流千葉周作道場に入門しました。
文久元(1861)年 5月20日 幕府の手先を無礼人斬りしたことで、追われる身となります。この際、逃亡・潜行しながら尊王攘夷を唱えて、日本各地を遊説。その潜行記が「潜中紀略・潜中紀事・潜中始末」に書き残されており、清河八郎記念館で保存・展示されています。
大赦が叶った後、浪士組を結成して京にのぼりました。ここで将軍の警護ではなく「尊王攘夷」が浪士組の果たすべき役割であると声高々に宣言。後に新選組を結成した近藤勇らとは、ここで袂を分かつことになります。江戸にもどった清河八郎は、文久3(1863)年4月13日 麻布一之橋で暗殺されました。
清河八郎記念館の料金
入館料は大人400円、高校生300円、中学生200円で小学生以下は無料となっています。なお10名以上で利用する際は、1割引で入館できます。
清河八郎記念館の館内
手指の消毒と検温、来館者名簿への記入を終えて、入館料を支払いました。この日ご対応いただいたのは、館長の廣田幸記さんです。館内のストーブのスイッチを入れていただき、温まりはじめたところで見学をはじめました。
志士懐紙貼交屏風
まず最初に目に入ったのが、金色の屏風。これは「志士懐紙貼交屏風」といい、薩摩藩の大坂藩邸に集まった志士の寄せ書きを屏風にしたもの。清河八郎をはじめ、藤本鉄石や安積五郎、平野国臣、小川一敏らの書を見ることができます。
維新回天偉業之魁
徳富蘇峰の筆。回天とは天下をひっくり返す大業。清河八郎は自らを「回天倡始」と言いました。
北辰一刀流兵法免許箇條目録
清河八郎は嘉永5(1852)年に北辰一刀流箇條目録(初目録)、万延元(1860)年に北辰一刀流兵法免許(中目録)を授かりました。
西遊草
母を連れて、清川から新潟・菅谷寺、善光寺参り、伊勢詣で、京都、金刀比羅宮、安芸の宮島、岩国・錦帯橋などを巡った道中記。
潜中紀略・潜中紀事・潜中始末
清河八郎が尊王攘夷を唱えて全国を遊説した模様を、「潜中紀略・潜中紀事・潜中始末」3種類の潜行記に自ら記しました。潜中紀略は、神田お玉ヶ池の自宅に同志を集めて討幕を話し合いはじめた頃から寺田屋事件の後に江戸へ向かうまでが記録されています。また潜中紀事や潜中始末には、遊説中のことを記録。なお潜中始末のみ和文、他は漢文で書かれています。
浪士組廻状留
浪士組の隊員名簿には、近藤勇や沖田総司、土方歳三など後の新選組のメンバーらも名を連ねています。
清河八郎記念館の基本情報
清河八郎記念館
住所:山形県東田川郡庄内町清川上川原37
https://hachiro.navishonai.jp/kinenkan/index.html