丹下健三 TANGE KENZO 戦前からオリンピック・万博まで 1938〜1970
2021年7月21に日から10月10日まで、文化庁国立近現代建築資料館で開催されている展覧会「丹下健三 TANGE KENZO 戦前からオリンピック・万博まで 1938〜1970」を見学してきました。
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文化庁国立近現代建築資料館へのアクセス
文化庁国立近現代建築資料館の最寄り駅は、東京メトロ千代田線の湯島駅。1番出口から湯島地方合同庁舎の正門を目指します。他に東京メトロ銀座線の上野広小路駅や都営地下鉄大江戸線の上野御徒町駅、JR山手線の御徒町駅からも歩いて行くことができます。そして、今回利用したの都営バス。春日駅前から都02系統・錦糸町駅前行に乗車。湯島三丁目バス停で下車後、正門は歩いてすぐです。
入口で守衛さんに文化庁国立近現代建築資料館へ行く旨を告げると、バッチを目につく場所に付けるように言われました。帰る際に返却するので、くれぐれもなくさないようにとのこと。
思ったより広い敷地の中を、案内板の矢印に従って右へ左へ歩きます。途中、赤レンガの長い壁。どんな歴史があるのだろう、ここは昔どんな風に使われていたのだろう…と頭の中に妄想が広がります。館内の入口が見えてきました。中へ入って階段を上がり2階へ。まず入館カードを記入。手渡して検温を受けました。館内の見学に際して注意事項。音声ガイドが用意されており、QRコードを読み込ませてスマートフォンで聞くことができます。利用の際は、イヤホンを使用します。企画展会場内の撮影は基本OK。ただしNGの場所もあるので注意すること。
私が見たかった展示
私が見たかった展示は、Section1「戦争と平和」。ここでは丹下健三が設計に携わった「広島平和記念公園・広島平和記念資料館」、「戦没学徒記念若人の広場」、「大東亜建設忠霊神域建設計画」に関する資料が展示されています。設計図を通して、丹下健三が考えていただろう「平和」に思いを馳せます。
広島平和記念公園・広島平和記念資料館
広島平和会館原爆記念陳列館(広島平和記念資料館)の立面図と断面詳細図。丹下健三が引いたその線に並々ならぬ情熱を感じました。それは込められた魂のようなもの。そして石元泰博の撮影した写真。モノクロゆえにより感じる「光の透明感」と設計された際の意図が見事に表現されておることが伝わってきました。
戦没学徒記念若人の広場
兵庫県南あわじ市に建設された「戦没学徒記念若人の広場」は、軍需工場へ動員され亡くなった学徒の追悼施設。昭和42(1967)年に建設されました。兵庫県出身の私ですが、お恥ずかしながらこういった施設があることを全く知りませんでした。
大東亜建設忠霊神域建設計画
「大東亜建設記念営造計画」のコンペで、丹下健三は「皇居と富士山高速道路で結び、富士山麓に戦没学徒を慰霊する追悼施設」を計画。一等を獲得します。しかし実際に建設されることはありせんでした。もし今の時代に存在したらどんなメッセージを発したのだろう。「戦没学徒記念若人の広場」の学生たちもここで追悼されていただろうか。ピンポイントで軍事関連施設を狙ったものから、無差別爆撃へ。日本全土が「攻撃の標的」になり、空襲により誰もが「死」を意識して生きていた時代。もしかしたら、学徒を問わず戦没者を追悼する施設になっていたのだろうか。
文化庁国立近現代建築資料館の基本情報
文化庁国立近現代建築資料館
住所:東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内
文化庁国立近現代建築資料館ホームページ:https://nama.bunka.go.jp/
展覧会特設サイト:https://tange2021.go.jp/