遠野市立博物館を訪ねて|遠野物語と絵馬・山伏から読み解く!信仰と歴史・文化のつながり
今回は岩手県遠野市にある「遠野市立博物館」を見学しました。
Table of Contents
遠野駅から博物館へ
快速はまゆり53号で遠野駅に到着。駅前から続く道を歩くと、遠野市立博物館に到着します。
飯綱
コーナー展示「遠野物語と呪術」で気になった飯綱(いいづな)はイタチ科の動物。可愛らしい姿の剥製が展示されています。なぜ呪術に飯綱かと言えば、「遠野物語拾遺(とおのものがたりしゅうい)二〇一話」に登場する「飯綱つかい」の話が紹介されています。昔ばなしに出てくるようなストーリー展開と結末。現在でもこのようなこと、ありそうだな…と思いました。(詳しくは是非展示で確認を)
南部弥太郎入部の図
今から約400年前の嘉永四年(1627)八戸から遠野へ国替えとなった八戸南部氏入部の様子を描く絵巻。毎年「遠野春まつり」では、先ほど歩いてきた遠野駅前から南部神社まで、八戸南部氏が遠野に入部した行列を再現した「南部氏遠野入部行列」が行われるそうです。遠野が春なら庄内は秋。荘内神社の荘内大祭では、元和八(1622)年に入部した庄内藩酒井家の大名行列を再現した「荘内藩伝承大名行列」が行われることを連想しました。また絵巻繋がりでいえば、酒井家六代忠真公が上京した際の行列を描いた「泥洹院様御上京図」があることも。
絵馬
神様の乗り物として馬を奉納。後に馬形→絵馬を奉納されるようになったそうです。古来神様は馬に乗って降臨すると伝わり、人々は馬を奉納してきました。今も神社に参拝した際、馬を見かけることがあります。ここでは駒形神社に奉納された数々の絵馬が展示されていました。また狐図、熊図、祭礼図といった、普段あまりお目にかからないものもあります。昨今、日本各地でクマが出没していますが、熊図が描かれた頃はどうだったのかな、と思いをはせました。
供養絵額
今回見学してとても印象的だったのが「供養絵額(くようえがく)」です。死者を弔って死後の世界で楽しく過ごすことを願って菩提寺に奉納された「供養絵額」戒名が書き込まれて、ご夫婦と女の子が描かれている板絵は、江戸時代末期から大正時代にかけて制作されたとのこと。
ご夫婦とお嬢さんが描かれたこの供養絵額には、「参政四巳年十二月晦日 久圓禅定門 酉松 三十四歳」 「安政六未二月十八日 松翠定尼 〇〇〇〇〇歳」「嘉永六年〇八月九日 〇光善童女」 と添えられています。(〇は私が判読できなかった箇所)この親子にいったい何があったのでしょうか。
お盆にのったごちそうが、私には卓袱料理に見えました。「小林宮吉」さんが奉納されたようです。
山伏
出羽三山がある庄内へ移住した私にとって、山伏は(全国的には珍しい存在であっても)身近な存在。8月26日は出羽三山神社の山伏修行「秋の峰入り」が始まりました。9月1日まで「山駆け」などの修行に励まれます。
また神楽は山伏が里山の人々に伝えた神事の名残りと言われることを初めてしりました。
羽黒山に三十三回以上入峰した者に与えられる最高階位を「大越家」といい、証として与えられたのが羽黒派山伏補任状「大越家職之事」遠野の山伏の多くが里に住み、祈祷や占いなどを行ったとのこと。また「遠野三山(早池峰山、六角牛山、石上山)の案内」とあり、遠野にも三山があることも知りました。
見学を終えて
自分の住む地域とのつながりを意識しながら展示を見ることで、単なる資料ではなく、現在につながる物語としてより身近に感じることができるのではないかと思います。遠野市立博物館で見学したことは、庄内をはじめ全国各地の地域文化にも通じる部分があり、比較してみると新たな発見や気づきが生まれてきます。博物館は過去を学ぶ場であると同時に、自分自身の暮らす土地の歴史や文化を考えるきっかけにもなるのだと強く感じました。
遠野市立博物館について
遠野市立博物館
住所:岩手県遠野市東舘町3−9