たまねこトラベル

山形県庄内町清川 幕末の志士 清河八郎の生誕地を歩く

JR陸羽西線に乗車してやって来たのは、山形県庄内町清川。まず街の玄関口・清川駅から、清川歴史公園へ向かいました。

陸羽西線 新庄駅~余目駅(奥の細道最上川ライン)43.0km 乗車記 2020年3月

公園内にある「お食事処 御殿茶屋」で昼食と情報収集をした後、街歩きにでかけます。

清川歴史公園 山形県庄内町清川で歴史散歩の拠点

藤沢修平さんの「義民が駆ける(文春文庫)」と「回天の門(文春文庫)」を旅の前か後に読まれることをオススメします。

御殿林

清川歴史公園からすぐの場所にある御殿林は、参勤交代の際に藩主が宿泊する「御殿茶屋(宿泊地)」があった為、この名前がつけられたそうです。戊辰戦争の際に荘内藩と新政府軍戦場になりました。

木々の間に続く小道を歩いてゆくと、清河神社のそばに出てきました。

清河神社

昭和8年(1933年)に建立された清河神社には、清川出身で幕末の志士・清河八郎を御祭神として祀られています。

境内にある清河八郎の座像は、雪囲いの中であった為に像の姿を見ることはできませんでした。

清河八郎記念館

清河神社に隣接している清河八郎記念館は、昭和38年(1962年)に建設されました。館内で特に目を惹いたのが、「志士懐紙貼交屏風」清河八郎はじめ12名の寄書が、第一扇から第六扇までの屏風になって展示されています。

また私が訪れた時は、企画展「幕臣尊攘派山岡鉄舟と清河八郎 -浪士組結成から清河八郎暗殺と山岡鉄舟の軌跡-」が開催されていました。

歓喜寺

天正7年(1579年)に創建された曹洞宗のお寺。境内には、清河八郎・お蓮夫妻の墓、戊辰戦争で犠牲になった荘内藩士や農兵の墓、天保飢饉義民の碑などがあります。

回天の門では、冒頭の章で「天保飢饉義民の碑」が伝える、預かり米強奪事件の場面が出てきます。清河八郎(当時の名前は齋藤元司)の生家・齋藤家に盗賊が侵入、蔵から荘内藩預かり米が盗まれました。この際、犯行を目撃した清川八郎の証言をもとに村人16人が捕らえられます。飢饉による困窮という、やむにやまれぬ状況での犯行であることを考慮し寛大な対応を求めた歓喜寺の住職による嘆願も叶わず、荘内藩は15人を処刑、1人を追放しました。また、清川八郎の妻・お蓮が捕らえられて、死を迎えるまでの話は、胸が締め付けられる思いがします。

御諸皇子神社

参道の入口にある山門で二体の金剛力士像で迎えられて、坂道を上がって行きました。

清河八郎生家の跡

酒造業を営んでいた清河八郎の生家の跡です。迎賓館として使用され、楽水楼と呼ばれた書斎がありました。回天の門では、楽水楼でもてなしを受けた旅人から影響を受ける、若き日の清川八郎のエピソードがえがかれています。

今は、看板がここに清河八郎の生家があったことを伝えています。

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