2023年12月8日(金)から2024年2月4日(日)まで山形県酒田市の松山文化伝承館さんで開催されている企画展「ダ・ヴィンチか?ダーウィンか?いいや!松森胤保と申します!」を見学しました。
Table of Contents
展示の構成
本企画展では松森胤保の功績を序・武士・収集・著述・発明の五つの章立てで紹介されています。
武士の章
「薩摩藩邸焼き討ち事件」で松森胤保が率いる松山藩兵は正面から討ち入りしました。また戊辰戦争の際には、当初白河(福島県)へ向かう予定でしたが、上山から県内を北上。胤保は松山藩軍務総裁となり、松山藩一番隊隊長と庄内藩一番隊参謀を兼務して庄内藩二番隊隊長・酒井玄蕃と共に秋田で戦いました。
紺糸威二枚胴具足
松守胤保が着用したと言われる甲冑「紺糸威二枚胴具足」
手袋の甲の部分に○印で「夢」と書かれているのがとても印象的でした。
無銘 伝冬廣
薩摩藩邸焼き討ち事件と戊辰戦争の功績を称えて、松山藩主酒井忠良公より「無銘 伝冬廣」を授かります。
鞘には胤保に刀が渡った謂れが彫りこまれていました。
著述の章
著作数は300を超えると言われる松森胤保。そのジャンルも多岐にわたります。その中で戦記は武士が読むことが意識され、威厳を優先して達筆で書かれています。一方自然科学については楷書で誰でも読みやすく書かれており、記録を残すことに関しても先を見る目があったと言えます。
北征雑記・北征記事
松山藩・庄内藩の視点で戊辰戦争を記録された北征記事(6冊)は、北征雑記を清書する形でまとめられました。
戦況や軍勢の進路が詳細に書かれています。
大泉諸鳥写真画譜
大泉諸鳥写真画譜には切り抜かれた箇所があります。
これらは両羽禽類図譜へ移し替えられたそうです。
銃猟誌
松山藩の付家老になると、銃の使用を許された胤保。銃猟による採集を通して大型の鳥を観察・記録することが可能になりました。最初は一方向で写生されていた絵図が、後にいろいろな角度から描かれています。
博物二篇
飛ビシラの折り込み絵図が目を惹きます。
縦に別ページを合わせて描かれた背びれが特に印象的でした。
弄石餘談
明治時代に入ってエドワード・S・モースが大森貝塚(東京都大田区)を発掘したことに刺激を受けた為か、胤保は「弄石餘談」で土器や石器を記録しました。
両羽博物図譜
山形県指定文化財「両羽博物図譜(59冊)」は、植物類・鳥類・蝶類・魚類など4600点におよぶ絵図に文章が添えられています。
発明の章
開物学(発明工学)によって庄内をはじめ日本を豊かにして、文化向上発展させたいという願いを持っていた松森胤保。その研究に傾けた情熱は、胤保が残した書からも感じることができます。
南郊開物径歴
南郊開物径歴(全16巻)は、嘉永二年(1849)から没する直前まで、胤保が創案した数々の発明品の設計図が記されています。
ポイントは人力にこだわったこと。当時蒸気船(蒸気機関)知っていましたが、これを発明品に取り入れませんでした。それは明治維新後に職を失った士族たちが働く場所を提供することを考えていた為と言われているそうです。
鳥船
胤保が描いた「鳥船」の原画を元にして、近年ご子孫が模型に再現されたそうです。
参考文献
松山町史・郷土の偉才 松森胤保(文・志田正市/松森胤保翁顕彰会発行)
松山文化伝承館の基本情報
松山文化伝承館
住所:山形県酒田市新屋敷36−2
https://www.facebook.com/densho2632/