大路關石獅公 自然災害から村を守った三体の石獅子 伝え継がれてきた故事を紐解く

大路關石獅公 高樹郷

屏東県高樹郷廣福村にある「大路關石獅公」を訪ねました。廣福村を守る三体の石獅子が歩んだ歴史の思いを馳せながら、今を見つめたいと思います。

屏東県高樹郷廣福村への行き方

大路關石獅公がある屏東県高樹郷廣福村には、台鐵屏東駅隣接の屏東バスターミナルから路線バス利用が便利。屏東客運の高樹行き8226路バスに乗車し、關福のバス停で下車します。所要時間‪1時‬間あまり。

關福バス停

第一尊石獅公

關福バス停のすぐそばに、三頭の石獅子が安置されている場所がわかる地図や由来が記された案内板あります。確認した後、直ぐそばの路地を歩いていくと、やがて目の前に現れたのが「第一尊石獅公(獅老一)」です。

大路關石獅公

このあたりは、中国大陸・広東省梅縣から渡ってきた客家の人々が開墾・定住するようになりました。彼らを悩ませたのは、収穫時期に吹く「西斜風」と呼ばれる強風。そこで人々は相談の上、村の守護神として石獅子を作り祀ることにしました。

大路關石獅公

その甲斐あってか、安定した日々をおくれるようになります。しかし、1856年に土砂崩れや洪水が発生、多大な被害が村にもたらされることに。その直前、石獅子はこの災禍を予言、村人たちに警告するも受け入れられませんでした。そこで石獅子は、土石流に流されて埋もれながらも、体を張って人々と村を守った…というのが、案内板等からつたない語学力を駆使して私が組み立てたストーリー。間違った翻訳があるかもしれませんが、おおまかなところは掴んでいるかなと思ってます。

順天宮

一度は流されてしまった石獅子でしたが、現在は順天宮という廟のそばに。撮影と参拝を終えて、次の石獅子がある場所まで移動しようとした時、突然激しい雨に。ちょうど順天宮の屋根のある場所へ退避、雨宿りすることができました。これは石獅子が私を守ってくれたのでしょうか。

石獅公園への行き方

順天宮そばの第一尊石獅公を見学した後、2頭の石獅子がある石獅公園へ向かいます。一旦先ほど降りた關福バス停まで戻り、案内の看板に従って右手へ少し歩くと、石獅公園の入口が見えてきました。

第ニ尊石獅公

第ニ尊石獅公(獅老ニ)は、第一尊石獅公が洪水の土砂に流されてしまった為、新たな村の守り神として、1918(大正7)年にできたそうです。“石”と書きましたが、石を彫ったものではなく、セメントと石でできています。風化の為、所々むき出しになっていて、痛々しい感じがしないでもないですね。現在は屋根で覆われて、これ以上の劣化を防ごうとされています。

大路關石獅公

この第ニ尊石獅公にも悲話が。隣り村と水源を巡る争いが絶えませんでした。妬んだ隣村の一部住民が、夜中に第ニ尊石獅公に大きな釘を打ちつける事件が発生。石獅子は三日三晩泣き続け、遂に魂が抜けてしまいました。その後、石獅子の祟りの如く隣村に災いがもたらされ、壊滅状態になったと言われています。

大路關石獅公

第三尊石獅公

最後に訪れたのは、奥にある第三尊石獅公(獅老三)。この石獅子は、1965年に順天宮の媽祖様の指示で、第ニ尊石獅公の代わりに…とつくられたそうです。

大路關石獅公

大路關石獅公

こちらは鮮やかに塗られて、新しい愛らしい感じがしますね。

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